榮養寺
【縁起・由縁】愛媛県伊予市の中心市街地の灘町は寛永十三年(1636年)豪商宮内九右衛門、清兵衛兄弟が大洲藩の許可を得て、私財を投げ打って開拓したのが始まりです。灘町の町割りは全国でも例を見ない大きな区画となっており、大洲藩から特別の自治が任された在郷町の典型的な姿を物語るものでした。

 栄養寺は翌寛永十四年(1637年)宮内家の菩提寺として苦厭上人を招き開山されました。苦厭上人は豊臣秀頼の子、国松丸(一説には国松丸の弟)で大阪の陣の後、家臣の手によって難を逃れ、伊予の国に来て各地を転々とし、数年の後出家して豊臣家の菩提と衆生済度に精進したとされます。

「栄養寺」という寺号は他に例がなく「栄養」という言葉が使われた例として最古といわれています。栄養学の創始者佐伯矩博士は幼少の頃、当山の近くに住みよく立ち寄ったといわれ、現在も博士の筆による栄養の書が残っています。以前は「営養」の文字が使われていましたが博士が「栄養」のほうが適切であると文部省に進言し大正九年に「栄養」の文字が公用語として使用されるようになりました。
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          榮養寺
住所: 〒799-3114 愛媛県伊予市灘町52
TEL: 089-982-0813 FAX: 089-983-1893
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