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沿革

大本山百萬遍知恩寺は長徳山功徳院と号します。
承安五年春3月、法然上人43才にして、浄土の宗門を開き給い、叡山を折下り、西山の広谷を経て、東山吉水の邊りに移られました。次いで加茂宮司の懇請により、加茂の河原屋に移住し、専徳念佛の法を広め給いました。依って当山の創設期は加茂河原屋、加茂禪房、加茂の釈迦堂などと称しました。現在の相国寺の邊です。
上人の常侍、即ち当山第2世源智上人は平重盛公の孫、備中守師盛卿子息、平家滅亡後法然上人の弟子となり、上人滅後その遺徳を守り師徳報恩のため大師の影堂を建立されました。
元弘元年8月、第8世善阿上人の時、天下疫病が流行し、上人即ち勅命により参内し、一、七日を期して百萬遍念佛を修しました。疫病忽ち止みました.天皇御感のあまり、弘法大師御作、利剣の名号並びに百萬遍の号を賜わりました。其後足利義満相国寺を建立するいに当り、寺基を一条通小川に移しました。第9世大誉慶竺後花園天皇の叡信を蒙り、浄土一宗第一寺の称、並に香衣被着の綸旨を賜わりました。降って天正18年寺基を更に寺町現梨木神社付近に移しました。寛文元年正月、二条殿よりの出火に類焼し、ために第39世光誉満霊上人、寺地を現在の地に定め、自ら江戸に下り、五百両を得、更に諸国に行脚し、延宝7年に至り遂に竣工。次いで漸次諸堂、庫裏等建立され、全山完備し、今日に至りました。
知恩寺の什宝等について/案内図