豊国山 回向院
幕末の志士も眠る小塚原刑場跡
江戸明暦の大火で焼死した無数の無縁の人々を葬るために、万治3年(1660)に建てられた本所深川の日向院は、その後、病刑死者を埋葬していたが、埋葬しきれない遺体を幕府から拝領していた千住の小塚原(こづかっぱら)縄手に、寛文7年(1667)一院を建て葬った。それが今回紹介する荒川区南千住の回向院である。
この寺は境内に、幕府が品川の鈴ヶ森とともに刑場としていた、浅草の刑場(小塚原刑場)があったことでも有名である。
刑場は現在の寺がある場所より南側にあったというが、2000坪(約6600平方メートル)程の広さで、獄門・磔(はりつけ)・火あぶりなどの極刑が行われた。明治初めに刑場が廃止されるまでに、20万人余の罪人が処刑されたという。中にはねずみ小僧次郎吉、腕の喜三郎らの有名な盗賊もいる。
幕末には政治犯の処刑、埋葬の地になり、吉田松陰ら安政の大獄の犠牲者、桜田門外の変などの維新にまつわる事変の捕縛者がここで処刑された。当時は罪人の墓を建てることが禁じられていたが、現在はそれぞれの墓が整然とならんでいる。
また、明和8年(1771)に杉田玄白らが、ここでおこなわれた腑分(ふわ)けを見て『解体新書』の翻訳を完成させたことを記念する「観臓記念碑」もある。
罪のあるなしかかわらず人々の菩提を弔うために建てられたこの寺はまた長く無縁の行き倒れの人々、地震、大火の犠牲者の埋葬の地でもあったという。
浄土宗新聞平成2年3月号より記載
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豊国山 回向院         
住所: 〒116-0003 東京都荒川区南千住5丁目33番13号
TEL: 03-3801-6962 FAX: 03-3801-9827
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